雪のように降り積む日々の合間で

気の向くままに想いを書き綴る

『考えに考え抜いた選択の果ての悲劇と、一ヶ月間の苦闘』【時間を】ゲームレビュー:ワンダと巨像【返せ】

 今から50日程前、とあるゲームの約10年ぶりの最新作が満を持して世に放たれた。

 

 そう

 

KINGDOM HEARTS


f:id:Alright3:20190315051349j:image

 

楽しみにしていた人も多いのではないだろうか。僕もその一人だ。僕がこのシリーズをプレイしたのは中学二年のとき、KINGDOM HEARTS 358/2days(キングダムハーツリーファイブエイトデイズオーバーツー)が初だったのだが、開始数分にしてゲームの世界にどっぷりと沈み込んだのを覚えている。

 

何せ(以下引用)、

 

哀れ
心無きハートレスは心を集める
怒りのキーブレードは
心を解き放つ
心は闇に集い
やがてキングダムハーツとなる
主をなくした人の心が織りなす
キングダムハーツ
我らはキングダムハーツと共に
完全な存在となる

 

 開幕(のっけ)からこれである。純粋な中学二年生が嵌まるのも、致し方ないというものだろう。(余談だがこの文句、某ブリテンの騎士たちのような椅子に座った””機関のメンバー””を順に写しながら唱えられる。もうこのシーンが辛抱堪らん過ぎて、今書いているネット小説でオマージュ的な要素を取り入れたりもした(その実ただ単に時計を模した円形の空間でキャラが順番に喋るだけだが)。余談の余談だが、そのネット小説がKADOKAWA主催のwebコンテストで中間選考を通過した。少しでも興味のある方は是非ご一読をば。いくらなんでも宣伝が強引すぎる。リンク→https://kakuyomu.jp/works/1177354054885814119)

 

 今振り返ってみるとKINGDOM HEARTSシリーズに当時の僕が感じたのは洗練された厨二であった。あと徹底的なシリアス。話題は逸れるがこのシリーズ、ナンバリングよりも「外伝」の方が多く出ていて(冷静に考えてみると意味不明だ)、そして外伝のストーリーは本編と複雑怪奇に絡み合っているのだ。ここがミステリー好きとしては本当に堪らなくて、錯綜する視点や時系列、(若干後付け感は否めないが)鮮やかな伏線回収と、構成が映えていたと思う。

 

 世間では「何かディズニーキャラが出てくるRPG」とか思われていそう(プレイする前は僕もそう思っていた)だが、良質なエンタメ顔負けの濃厚なストーリー展開が楽しめる作品でもあるのだ。(勿論ディズニーファンの人でも楽しめる、因みに僕はディズニーランドは五歳以来行っていないし、チップとデールの区別もつかないが、キングダムハーツは楽しめたのでディズニーとか……みたいな人でも楽しめると思う)(個人的にお薦めしたいのがシリーズの始まりを描いた『Birth by Sleep』という作品、主人公が三人いて全員分プレイして初めてストーリーの全容が解るという凝った構成、宛ら良質なミステリーのようだ)(あと展開も結構切なくてやるせないのが多い、前述した358/2daysのエンディングとか今までプレイしたゲームのエンディングの中でも群を抜いて好き)

 

 本当は延々と括弧をつけて破綻した論理展開と低い語彙力でKINGDOM HEARTSに対する愛を語っていたいのだが、そうはいかない。心を鬼にして最近プレイした(自分)史上稀にみるレベルのゲームのレビューをしていかなければならない。それがこのゲームに約一ヶ月を費やした僕に可能な細やかな「報復」なのだから。

 

 冒頭に戻る。

 事の発端はそう、KINGDOM HEARTSⅢ発売から三週間ほど前に遡る。当時の僕は迷っていた。思い入れのあるシリーズだし、キングダムハーツ3(これからはこの表記で統一)はプレイしたい。だがPS4を買ってまでやりたいかと言われると……

 

 悶々とした気分で電気屋のゲームコーナーを彷徨いていた僕の思考は、暫しフリーズする。

 


f:id:Alright3:20190315053145j:image

 

1.5000円引き←まあ解る

 

2.ソフト二本無料←いや意味が解らない

 

 

頭で損得勘定するより先に僕はPS4 250GB(色:グレイシャーホワイト)をひっ掴み、脇目も振らずレジへと向かった。(僕は据え置きゲーム機は黒派なのだがこの時ばかりは何故か白を選んだ)

 

「いい買い物をしたな……」

 その先に待っている悪夢を知らずに、僕は嘗てない満足感と共にがらんどうの年始の電気屋を去った。

 

……さて、問題となってくるのは此処からだ。

 

””このゲーム””は既に始まっている。

 

そう、

 

「無料ソフト21本の選択肢の中からどのゲームを選ぶか」

 

 この選択は何よりも重要だ。

 

折角得をしたのに、此処でクソゲーを掴まされようと言うものならその落胆は計り知れない。例えるならそう、””ソシャゲのアニバーサリーログインで貰った十連石でガシャを回したらSR一枚(被り)だった””かのような、形容しがたい絶望に襲われるくらいなら、買わない方がマシなのだ。得をしない方がマシなのだ。

 

 思えば人間とは不思議なもので、「得をすれば得をするほど」「手にいれれば手にいれるほど」、より多くを欲するようになるらしい。人間の欲求には制限がない……

 

まあそんな行数稼ぎの文章はどっかの小説にでも書くとして、ゲームの選択の話だ。

 

浅ましい話だが、まず僕が考えたのは「二本とも元値が高いソフトを選ぶ」。金は正義。拝金主義とは行かないものの、僕とて資本主義の犬なので、真っ先に考え付いたのはこれだった。

 

単純計算で一本5000円のソフトを二本選べば、本体価格5000円引き分と合わせて15000円分得をすることになる。普通に買ったときと比較して、この””差””は大きい。

 

だがここで思考を放棄するようなら二流、いや三流と言わざるを得ない。

「高いものだから良いものに違いない」

 そんな単細胞思考に拐かされるほど馬鹿ではなく、そんな単純思考を受け入れられるほど賢明ではないのだ、僕という人間は。

 

 一番重要なのは、何よりも重要なのは、自分が最大限楽しめるソフトを選ぶこと

 そこに金銭が絡む余地はない。粗製乱造が罷り通るこの大量消費社会、どこでどんな代物を掴まされるか解ったものではないのだ。値段は数ある尺度の一側面に過ぎない。自分が気に入るか否か、強いて言うならばそれこそ何にも勝る「尺度」だ。

 

 その瞬間、その人生から考えれば数瞬にも満たないであろう数分。僕は恐らく生まれて初めて「経済学」とやらに魅せられたのかもしれない。

 

今こそ思考の全てを費やし「理想の選択」を掴みとるとき。効用(この言葉の意味もろくに解っていない)を最大化するとき。余りにも利己的で余りにも低俗な、孤独な闘いが始まった。

 

 

 

まず「前提条件」から考えてみよう。21本のゲームから2本を選ぶ。その組み合わせは21C2=210。手狭な脳内を210もの膨大な数が駆け巡るものの、混乱するばかりで「答え」は未だ見えない。

 

まず候補を絞る必要性に迫られた。消去法。その有用性は主にセンター試験の国語等で身に染みついている。

 

パッとラインナップ↓を眺めてみる。


f:id:Alright3:20190315070501j:image

 

そして「明らかに低予算だなこれは(失礼)」という五本を除外。唯一迷ったのは『風ノ旅ビト』だが(タイトルを小耳に挟んだことがあったので)、値段を調べてあっさり切る。残りのタイトルを列挙してもいいが、面倒なのでやめる。まあ大体観れば解るでしょう(リトルビックプラネット3はトラウマゲーと観た)。

 

さて、更に絞り混んで行こう。

次に消すべきは「シリーズもの」である。確かに二作セットで買えば””お得感””はあるかもしれないが、折角ならどちらも違う系統の作品にした方が楽しめると踏んだ。仮に一作買って面白かったら続きを買えばいい。そんな考えもあったかもしれないが、この駄文を打っているときには恐らくは忘却の彼方に消え去っている。

アンチャーテッドGRAVITY DAZE削除。ついでにラチェット&クランクもシリーズっぽいので。GRAVITYは割りと評価が良かったし女の子が可愛いのでいつか触れてみたさはある。

早くも残り10本、半分を切った。ここまで二分と時間を掛けていない。我ながらなかなかいいペースである。

 

ゴルフも車の運転にもあまり興味がない。みんなのゴルフGRAN TURISMO削除。これで残り8本。

 

膨大だった組み合わせも何のその。今では8C2=28。ここからは慎重に行こう。

 

さて……ラインナップを目を皿のようにして眺める。

そして右下端の三つのタイトルの「不可解性」に違和感を覚える。

何というか……パッケージを見ても「そそらない」のである。まぁ、僕はパケ買いに拘る方ではないし、寧ろタイトルの雰囲気や煽り文句に乗せられて買うタイプではあるのだが……(主に本の話)、その三本は「これがどういうゲームなのか」があまり伝わってこなかった。訴求力、求心力がなかったと言えばそれまでだが、タイトルも英語の羅列でどれも同じようにしか見えない。アサシンクリードだかコールオブデューティーだかなんだか知らないが、洋ゲーはどれも一緒にしか見えなかった(好みの問題だ)。

 

ということで3本纏めて候補から外す。これで残りは5本。いよいよ大詰めだ。犯人を怒濤の勢いで追い詰める名探偵のように、消去法推理、いや論理を脳内で構築していく。

 

さて(探偵の一言目はこれと相場が決まっている)、その時点で一番僕が気になっていたのは「Horizon」というソフトだ。上段の左から三番目、澄んだ色のパッケージに描かれた謎の機械と、そして凛々しい表情の女性。先ほどの三作と比べ、とても「そそる」パッケージと言えよう。ストアで詳細も観たところ、「荒廃した未来世界で謎の機械獣と戦う孤高の女狩人を待ち受ける運命とは――――」(大分曖昧だがこんな感じ)と、期待以上の売り文句。かつてDLCとして販売されたらしい追加シナリオも併録されており、ボリュームも文句が無さそうだ。これは””買い””だ。

そう思って「一作目」としてカートへ入れかけたそのとき、Horizonの右隣にある作品タイトルに目が釘付けになった。

 

ワンダと巨像 

 

ワンダトキョゾウ

 

わんだときょぞう

 

これは……何という「郷愁」を感じさせるタイトルなのだろうか。いや、それだけではない。ただ名詞と名詞を「と」で繋げただけでここまでの奥ゆかしさを感じさせるのは、ただ事ではない。

 

パッケージのインパクトも凄まじい。巨大な怪物に勇ましく立ち向かう剣を手にした青年の姿。それはとうの昔に喪ったはずの「少年の心」とやらを僕の心に呼び覚ました。

 

「喪われた少女の魂を呼び戻すためには、古の地に眠る十六体の”巨像”を倒さなければならない」(うろ覚え)

 ほう。

 

「巨像にはそれぞれ特性があり、知恵を絞って討ち果たす必要がある」(こんな感じ)

 ほうほう。

 

「伝説の名作ゲームが今、美麗なリマスターグラフィックで甦る!」(名作とやらのリメイクってほぼ全部これ書いてないか)

 ほうほうほう!

 

 何というか、””魅せられた””。他にも、「美しく繊細なグラフィック」「心を打つ切ないストーリー」、そしてとどめに、「エンディングまで、泣くんじゃない」(プレイしたことなし)とか「すべてのRPGを過去にする」(別の意味で過去にしてしまったらしい)とかの有名キャッチコピーに匹敵、いやそれらを遥かに凌駕する秀逸なキャッチコピー、

 

「最後の一撃は、せつない。」

 

 どうして切ないのか、どのように切ないのか。これは気になって仕方がなかった。

 

 正直このキャッチコピーは狡すぎると思う。誰だってプレイしたくなるだろ。

 

とはいえ一抹の不安はあった。ネタバレを食らわない程度に少し評判を見てみると、「雰囲気(しか特筆するところのない)ゲー」みたいな感想が目立ったし、何より果たして「15年近く前のゲームを果たして楽しめるのか」という疑念もあった。

 だが一方でこんな感情もあった。「どうせ無料(タダ)なら、冒険してみるのも手ではないか」。こんな機会は早々ない。僕は往年の名作ゲームを漸くプレイできる好奇心と期待、そして僅かながらの不安の入り雑じった複雑な感情で、ワンダと巨像をカートに入れた。もう一作は何にしたのかを伸べているとキリがないので、突然だがここで選定作業の描写は中断して肝心のクソゲーレビューに入らせて頂く。そろそろ茶番も飽きてきたので。

 

結論から言わせてもらうと、ワンダと巨像クソゲーでしたね。ええ、もう本当に。

 

まずこのゲーム、プレイヤーに対する「配慮」というものが根本的に欠けている。普通は、どんなポンコツゲームでも「普通」なら、””チュートリアル””というものを差し挟むのではないだろうか。例えば「Lボタンでキャラを脱衣させます」とか、「右スティックでカメラを回すとパンツが見えます」とか、そういうのだ。

 

このゲーム、僕が壊滅的なゲーム音痴だからか、はたまた瞬きの合間に偶然見逃したのか知らないが、操作説明が本当に簡素である。

 

一瞬画面に出たと思ったらソッコー消える。いやまだ読み終わってないんですけど消すなよ。渋々ゲームの説明書を小学低学年ぶりに読むことになった。まぁ、まだこれは許せた。

肝心なのは此処からである。

このゲーム、その名の通り巨像を倒していくのだが、「ぶっつけ本番」なのである。

簡単に言うなら「雑魚敵」という概念が存在しない。広大なフィールド(オープンワールド)を探索しても、スライム一匹たりともいない。いきなりボス戦から。そんなの勝てるわけないだろ……

この概念を理解するのにかなりの時間を要したため、僕はゲーム開始40分近くを誰もいないフィールドを駆けることになった。

……こんなゲーム、前代未聞ではないだろうか(勿論誉めていない)

 

正直に告白すると、僕は一体目の巨像から攻略を見た。巨像には弱点があり、そこを突き刺すことで倒せるのだが、僕は弱点が数ヶ所あることに全く気付かず、「30分近く同じところを突き刺し続ける」というIQ3の行動を取り続けていたためだ。一応言い訳をすると、「巨像の弱点は数ヶ所ある」「巨像の身体をよじ登って(よじ登れることにすら気付かなかった)、弱点を探せ」などの情報は事前に一切開示されない。要するに「察しろ」という訳だ。まあ、「剣の光を当てれば弱点が解る」という注意書きを「弱点は一ヶ所だけ、故に一ヶ所特定すればおK」だと勝手に解釈した僕にも責任の一端があるのかもしれないが……。一体目の時点で確信した。「このゲームに自分は向いていない」

 

……が。このまま引き下がれるだろうか。「16体倒せば終わり」

 明示されたゴールを手放すには、些か早すぎるのではないだろうか。

そして、「試練」が始まった。

 

何でわざわざゲームシステムを解説しなければならないんだという気持ちだが、言うなればこのゲームは「巨像を探す」→「巨像を倒す」、これを16回繰り返すだけのゲームである。

主人公のワンダは剣を持っており、その剣を「翳す」ことで巨像のいる方向が大体解るという仕組みだ(これは結構斬新でよかった)。……が、このシステムが結構くせ者で、全然関係ないところでも違う色に光ることがあるので、変なところに迷い混むともう色々と面倒くさい。次いでに言うなら、迷い混んで探索したところでこのゲームの進行においてメリットはほぼ皆無。何せスライム一匹いないフィールドだ。トカゲと木の実を採集するとステータスが伸びるよーーみたいな要素はあったらしいのだが、僕がその存在に気付いたのは12体目を倒した辺りで(しかも攻略サイトを見た)、結局最後まで利用しなかった。

 そう、このゲームは、星の滅亡そっちのけでスノーボードに嵌まったり、バッジ集めを放り出して地下に潜って一心不乱に化石を掘ったり、嫁が魔族に拉致られて行方不明の間にカジノに嵌まったりといったような、「ゲームにおける寄り道要素」が一切ない。

ゲームはひたすら一本道。比喩でも何でもなく、巨像を倒す順番も完全に固定化されているためだ。仮に次の次に倒す予定の巨像が出現する場所に辿り着いても何も起きない(お陰で如何にもいわくありげな足場がある湖を二十分近く泳ぎ続ける羽目になったこともあった)。残りの巨像の数が半分を割った辺りではたと気付いたが、これは最早「労働」である。「苦行」である。

じゃあ止めろよ。全くもってその通りなのだが、今さら引けない。こんな経験はないだろうか。例えばあと少しで景品を落とせそうなクレーンゲーム。例えば天井まであと少しの限定ガシャ。例えば沢山仕入れた値崩れ寸前の仮想通貨。

それらが共通して含意するのは、そう、「ここまで投資してきたのだから、今さら引けない」という感情だ。これ以上進んでしまえば更なる破滅が待っていると解っていても、人は時にがむしゃらに、しゃにむに自ら破滅への道を突き進んでしまうものなのである。これを行動経済学用語で、「コンコルドの誤謬」という。

 

このゲームの何気に「巧い」ところが(個人の感想です)、連続して難しい巨像は出にくいところだと思う。まさにアメとムチ。ここまで批判しておきながら乗せられて最後までやってしまった自分は、相当のマゾなのかもしれない。

 

このゲームの根幹を成す、肝心のアクション面(というかそれくらいしか構成要素がない)について特筆すべきは「爽快感とは縁遠い」ということ。剣を突き刺す動作の一つ一つにももどかしさを感じるし、巨像の身体へ飛び移るという重要な動作ひとつ取っても少しでもタイミングがずれれば最初からやり直しと、フラストレーションが溜まること請け合いだ。また、基本的に「どうやったら倒す糸口を掴めるか」というパズル要素も戦闘に多分に含まれるため(後半になればなるほどその側面は強くなる気がした)、「方法が解らない限り永遠に終わらない」という縛りもある。一番最悪なのが「攻略方法は解っていてもアクション面の操作が及ばなくて出来ない場合」。この場合はおとなしく試行回数をこなすしかないだろう。同じことを何度も繰り返す。最早拷問の域である。ウルガモスと共にスカイアローブリッジを数百時間チャリで爆走し、数多の理想個体を孵化させた鋼の忍耐力を以てすら、巨像との戦いは艱難辛苦の連続だった。一番時間の掛かった12体目などは、年甲斐もなくコントローラーをぶん投げる寸前だった。このゲームを一度も苛つかずに心から楽しめる人種はよっぽどの奇特か、聖人だけだろう。中学時代にリオレウスの狩りの最中に突っ込んできたドスファンゴに憤怒してPSPの液晶を粉々に砕いた元友人とかには是非プレイさせてみたいところだ。

 

兎に角、本当にストレスが溜まるのだ、このゲームは。最後の巨像を倒したときも感慨や感動なんてものは何一つ浮かび上がらず、ああ、やっと終わったのか。そんな言葉の欠片が漏れでるばかり。

 

さあ、もうすぐこの長くて無意味きわまりない駄文の羅列も終演を迎える。というか、もう流石に疲れてきたので終わりにしたい。何文字くらいあるんだこれ。六千くらいか?

 

ワンダと巨像のラストですが、正直に言ってネタバレする気力も起きない。

というか、本当に脱力した。

自分はオープンエンド()とかメリーバッドエンド()みたいな「取り敢えず受け手に解釈委ねときますね笑」みたいな終わりかたが手抜き感溢れてて本当に嫌なんですが、本作はその最たるものでした……。プレイしてみれば解ると思います……。いや……勧めないけどね。まあ見せ方にも依るけど、本作は最初と最後以外に殆どストーリー性とかはないので(一応先の展開を軽く示唆するような不穏はある)、最後の展開も釈然としないところが多かったですね。うーん、どうなんだろうこのラストは。散々苦労して辿り着いたラストがアレって、プレイヤーに虚無感しか残らない気がするのだが。僕は創作物には少なからず(それがバッドエンドだったとしても)「カタルシス」が必要だと思ってるんですが、ワンダと巨像を十数時間プレイして得られたのは「どうしようもない虚脱感」だけだったので、恐らくは系統が合わなかったんだと思います……。

まあ、多分本当の本当にクソゲーだと思っていたらこんな長文なんて書けないし、最後までプレイできていないと思うので、まあ、こういう作品もありなのかというスタンスで行きたいと思いますね……。でもやっぱりクソ。

 

さっき途切れたもう一つの作品ですが、『detroit:become human』というソフトにしました。ぼちぼちやっていますが、こっちは本当に神ゲー感しかしないので、期待して進めます。

 

あと肝心のキングダムハーツ3ですが、まだ買えてません。単純にお金と時間が少ないし、心の余裕ができた時にでも全作纏めてプレイしたいですね。思い出のゲームなので。

 

この記事は一応ワンダと巨像の記事なので、「これだけ見ると滅茶苦茶面白そうなPV」でも張っとくのでお口直しにどうぞ。

 

 過大評価乙でした……

 

https://youtu.be/adpNcgm1zXk

 

https://youtu.be/Z-dbXaw--F4

 

 

最後にワンダと巨像というゲームの数少ない美点を頑張って三つほど探したので挙げていきたいと思います。

 

 

1.『美麗なグラフィック』 

これだけは看板に偽りなしだった。スクリーンショットを取っているときが恐らく一番楽しかった気がする。「風景を眺めるゲーム」と言っても過言ではない。木漏れ日、水飛沫の表現は本当に美しかった。

 

2.『巨像の圧倒的な迫力』

これは正直に言って想像以上だった。「巨大な敵に立ち向かう一人の人間」という主題は滾るものがある。

「いや……こんなん絶対勝てないだろ……」という絶望感も凄まじいものがあるのだが。進撃の巨人とか好きな人なら結構気に入るんじゃないかな。


f:id:Alright3:20190315111340j:image

 

 

 

3.『ワンダと巨像を主題にこの駄文を書くことで相対的に最近疎かになっていた小説創作のモチベーションが取り戻せた』

 

以上です。

 

 

 

 

もし、こんな記事を読んで逆にプレイしてみたいという人がいたら、愚かなる先達としてアドバイスを一言。

 

「困ったら取り敢えず弓」